こんにちは、こまです。
昨年2021年は、聖徳太子没後1400年という非常に大切な節目の年でした。そして、今年2022年はその結願法要が、さまざまな太子ゆかりの地で行われています。
その代表格、四天王寺でも『聖霊会の舞楽法要』が、1400年忌法要として大々的に執り行われましたので、その様子を紹介します。
こんな方におすすめ
- 雅楽や舞楽、日本の伝統芸能に興味がある
- 四天王寺を観光したい
- 雅楽をやってみたい
四天王寺と日本の伝統芸能の関わり
四天王寺について
みなさんは四天王寺についてはご存知でしょうか?
歴史の教科書に出てくる有名な言葉『和を以て貴しとなし、争うことなきを旨とせよ』
推古天皇の摂政として、遣隋使や冠位十二階などさまざまな日本の制度を整えていった、聖徳太子が建立した官寺です。
『日本書紀』には、蘇我氏物部氏の合戦の折り、蘇我氏の戦勝祈願として四天王像を聖徳太子ご自身で彫られ、勝利したあかつきには、寺院を建立しこの世の人々の救済をすると誓願され、建てられたとされています。
仏教を宗教として取り入れるかどうか、日本の宗教観の過渡期に建立された四天王寺。
蘇我氏勝利の後は、積極的に仏教の思想や、隋の習慣が取り入れられるようになり、日本もアジア列強に肩を並べる一国家としての道を歩み始めました。
聖徳太子の政策の一つ『音楽』と聖霊会
世界の国々では、音楽を政治や宗教を広める手段として使う例が多く見られますが、仏教や日本の政治も例外ではありません。
聖徳太子は積極的に隋や百済、高句麗に使者を送り、さまざまな文化を学ばせました。
そして、日本に帰ってその文化を伝えさせたり、帰化した渡来人たちに習ったりしたそうです。
すでに日本には仏像が伝来していたのですが、現在のような仏教としての教えは詳しく伝わっておらず、日本独自の『神』というくくりで崇められていました。
日本で仏教を導入するにあたって、さまざまな制度が作られましたが、音楽もその一つです。
917年ごろ書かれた『聖徳太子伝暦』によると、「三宝(仏・法・僧)を供養するには、外国の音楽を用いよ」といったという記録も残っています。これは、外来の神をなぐさめるには、外来の音楽で供養せよ、ということです。
こういった理由で、音楽を学ぶ機関を国をあげて設置し、少年たちに伎楽を習わせたとされています。
また、帰化した百済人『味摩之』は呉の国で伎楽舞を習得していたので、奈良県桜井市に住まわせ、秦氏の子息など少年を集め伝習させたそうです。
太子は法華経という仏教の教典を大陸からお取り寄せ輸入し、研究をされました。
その法華経を供養するための法要として、太子ご存命中は『法華会』を外来の音楽・舞楽を用いて催されました。今では、雅楽といえば神道をイメージすることが多いですが、最初は、仏式法要に雅楽(音楽)を使用していたということですね。
太子没後は、太子の御霊をおなぐさめする法要として『聖霊会』と変化しました。
また、音楽も平安時代以降は外来の音楽である伎楽から、国風文化を意識した雅楽・舞楽が制定されたのでそれを用い、たくさんの戦禍をくぐり抜けてもなお、現在に受け継がれていることから『重要無形民族文化財』に指定されています。
ちなみに、この重要無形民族文化財と言うのは、大阪市には2つしかない、貴重なものとなっています。(もう一つは住吉大社の卯の花祭事)
雅楽についてもっと詳しく知りたい方は、天王寺楽所雅亮会副理事長:小野真龍さんの著書をご覧ください。
日本の宗教と雅楽の関わりについて、より具体的に書かれています。また、初心者の方でもわかりやすいように、専門用語に説明やルビがふってあります。
聖徳太子没後1400年忌結願大法要【聖霊会】を鑑賞してきた!
今年は江戸時代に行われていた形式の復刻版
聖霊会がなぜ行われるかについての解説をしてきました。では、その法要はどんなものなのでしょうか。
聖霊会の舞楽法要の形式についてほんっとうにざっくり解説すると、六時堂というご本尊を祀るお堂の前に設置された石舞台で、声明を唱え舞楽を奉納するという、野外コンサートのようなものです。
しかも、誰でも気軽に無料で観覧でき、現在は【天王寺楽所雅亮会】という団体が重要無形民族文化財としての伝統を継承しています。
聖霊会は、聖徳太子の命日とされる4月22日に毎年行われますが、100年に一度の節目の年は特別です。2021年の聖霊会から一年間かけて、聖徳太子を供養するためのさまざまな法要が執り行われます。その一連の法要の締めくくり(結願)として、2022年の聖霊会はいつもより大々的に実施されました。
昨年はコロナ禍で、オンライン配信の実施となりましたが、今年はなんと古式復刻版。
明治政府によって廃仏毀釈が発令されて以降、仏教法要がたくさん廃止された影響を受け、伝統ある四天王寺の聖霊会も規模を縮小せざるを得なくなりました。
しかし江戸時代までは、明け方から夜中にかけて延々と執り行われるような大法要を毎年実施していたという記録があります。
去年の聖霊会は、1400年忌でしたがコロナ禍のため、オンラインでの実施となってしまいました。しかし、今年も結願法要という大切な節目なので、江戸時代以前の大法要を再現する大がかりな法要となりました。
装束なども新調しピカピカに
1400年忌を記念して、装束(衣装)なども新調されていました。これらの費用には、文化庁からの助成などもあり、国や大阪府市にとっても欠かせない、大切な文化の一つであることが伺えます。
大行道・一曲や、太平楽(普段は省略した短いものを舞いますが、今回は全部バージョン)、陪臚など、普段なかなか見られない演目が盛りだくさんでした。
また、伎楽面を付けた行列も。普段は宝物館に保管してあるような当時を伝える貴重な資料です。
四天王寺のお坊さんによる声明も、息をのむような迫力です。たくさんの人数で読むにもかかわらず、音程も一定で美しい低音が境内に響きわたる荘厳な読経でした。シンバルのような楽器「鐃祓」の音も聴けました。
この鼉太鼓は、クレーンを使って入れ込むとか。
一般人でも雅楽ができる!伝統芸能の継承者になれる!
このような大がかりな法要を行うには、楽人(演奏者)や舞人の修練と高度な技術が必要不可欠です。
天王寺楽所は応仁の乱から第二次世界大戦に至るまで、いくつもの戦禍にのまれてきた歴史があります。その度に、なんとかして歴史をつなげる工夫をした結果、今では【天王寺楽所雅亮会】にて、一般の方もその伝統を受け継ぐことができます。
毎年9月より開講される雅亮会の伝習所は、6月に伝習生の募集があります。
今年からは、30歳未満の入所希望者の年間受講料が安くなり、入会費も無料という制度に変わりました。開講時間も夕方なので、仕事や学校帰りの若い方でも、学びやすくなっています。
もし、雅楽を本格的に学び、伝統芸能の継承者を目指したい方はぜひ、ふるってご参加ください。
また迷われている方も、気軽にお問い合わせや見学ができるようです。
アクセス
住所:四天王寺(天王寺楽所雅亮会は四天王寺境内本坊にて稽古)
コメント